飛騨高山 さんぽ道飛騨高山さんぽ道

高山祭

 明日から春の高山祭です♪

(投稿日:

3月に聞いた高山の桜の開花予想は4月8日頃だったと思うけど、「それなら祭りの頃はイイ感じになるかな!?」って思ってたら、それから寒い日が続き まだツボミのままです。。。
#下の写真は、宮川沿いの桜です。

同じ宮川沿いに品種の違う早咲きの桜があるんですが、それがやっと数輪咲き始めたばかりです。。。

春の高山祭は日枝神社の例祭なんですが、例祭の一切の行事は宮本が取り仕切っています。
宮本は年番・加役・準加役からなり、神輿組と屋台組からそれぞれ3組ずつ、合計6組で行います。
神輿組・屋台組とも、まず準加役、次の年に加役、その次の年に年番となり責任も重くなっていきます。

祭り行列の最後尾には宮本旗が掲げられていますが、その旗には「須督祭事賡先例」とあります。
読み方は「祭事を督するには須(すべから)く先例を賡(つ)ぐべし」と読みます。

 

この意味を勘違いしている人が氏子の中にも多くいて、「”先例を賡(つ)ぐべし”は前の年と同じ事をやれば良い」と誤って理解している人が結構沢山います。
この宮本旗の意味は、「祭行事を取り仕切るのは宮本で、他の組は口出しせず宮本の指示に従う事を続けなさい。」というような意味になります。

 

宮本は、昔は青龍台組が長い間務めて下さいましたが時代と共に現在のような形になり、祭屋台も最初は祭行列の後ろに数台付いて回ってたのが現在の形になっており、前の年と同じ事を続けているのとは違います。

 

現在、私が所属する組は氏子の中でも最小で、今までも少数組に対する対策を訴えてきましたが解決になるような答えは出ませんでした。
宮本制度は氏子全体が祭りの仕組み等を理解する良い方法だと思うけど、今のままだと組が小さくなると祭に参加できなくなってしまいます。
他の神社では氏子総代が祭を仕切るところもありますが、日枝神社の氏子総代の皆様は拒否されたそうです。

 

ならば個人的には、議長・副議長と宮本の組総代で祭りのやり方等を取り決め、神輿組なら神輿組全体で人足の配分等を行えば良いと考えます。
これなら組が小さくなっても宮本制度は続けられると思いますが、会議では今のやり方に固執しているそうです。
変化することに臆病な人達と、少数組の現状を想像できない人達の集まりなんでしょうか!?
このままでは何年か先には、各組パンクしてしまいそうです。
そうなった場合、固執している人達はどう責任を取るんでしょうか?

 

今年は祭り初日が日曜日で息子が休みなので、初めて裃を着て祭りに参加してもらいます。
#と言っても神社拝殿の留守番ですが・・・。
でも私の組が祭りに参加するのは、これで最後になるかもしれません。。。

前宮司のお孫さんと私の息子は友人で、お孫さんも神社の手伝い等されていて将来はうちの息子も一緒に日枝神社を支えて欲しいと考えていましたが、今のままでは無理ですね。。。

 

祭り好きな人と話していると、「自分は祭りが大好きで一番よく分かっているから、自分の意見が絶対正しい!」と思い込んでる人もいます。
でもよく聞くと想像力が足りておらず、自分の環境の中でしか物事を考えられないようです。

 

祭りを続けていく事が一番大事だと思いますが、固執している人達はそのうち祭りに携われなくなるかもしれません。
パンクするのが先か、固執する人達がいなくなるのが先か!?
どちらにしても誰が責任を取るんでしょうか???


 秋の高山祭開催

(投稿日:

10月9・10日、秋の高山祭が開催されています。
下の写真は昨晩の宵祭りで、鳩峯車です。

鳩峯車

また、この鳩峯車組が75年ぶりに当番飾りを復活させました。
それが下の写真になります。
これを見ると、チョット分かりにくいですが土を敷いて道を作ってあります。
神様がこの上を通られるという事で、以前は道路にも細長く土を敷いて、そこから各家の玄関へも土の道を作って神様が各家に訪れるようにしてあったような記憶があります。。。
いつからその風習が無くなったか分からないけど、今は観光客も多いし、アッという間に土の道はかき消されてしまうでしょうね。。。

当番飾り

八幡神社の表参道まで行ってみましたが、やっぱり三連休の後なのか例年より観光客が少ないように感じました。
代わりに3園ほど、保育園児の団体を見かけました。
観光客が少ないから見に来たのなら良いけど、いつも通りの人出だったら園児も先生も大変だろうなって思いました。

八幡神社の表参道

10日、15時頃から雨が降り始めました。。。
観光客も引き始め、静かになってきましたね。

あ、そういえば昨日の宵祭りは、例年と違って 大新町→下一之町→安川通り→下二之町→下三之町→安川通り→下一之町 というコースだったけど、動く屋台が観られるという点では良かったと思います。
ただ 安川通りから下二之町へ下って、また下三之町から安川通りに出てくると観光客が大勢移動してきて「チョット危ないな」と感じました。
昨年までのように安川通りで暫く屋台を並べる方が安全かなと思いますが、並べる時間はもっと短くて良いと思います。

何にしても、無事祭りが終われそうで良かったです。。。(^^)


 祝! 山・鉾・屋台行事・ユネスコ無形文化遺産登録

(投稿日:

281203haru_yatai.jpg平成28年12月1日の深夜2時頃、高山祭屋台がユネスコの無形文化遺産に登録されたと市へ連絡があったそうです。
ようやく念願の世界遺産登録が叶ったんですが、33行事一括での登録なので嬉しいけどチョット複雑な気分です。

以前からユネスコへ登録申請をしていましたが、「高山祭屋台と祭礼の場」(だったと思う)という感じで祭区域も一緒に申請してたので、下三之町などを歩いても分かるように「普通の町並みで空き家を潰して駐車場になり、歯抜けになったようなところも世界遺産になるの?」と、そういう申請方法では無理じゃないかと感じていました。

もちろん、祭屋台は世界遺産に登録するだけの価値があると思っていましたが、当時聞いた説明では「屋台は車が付いていて動くので、何か動かないものと一緒に申請しなければならない」みたいな事を聞いた覚えがあります。
それだったら土蔵でできた屋台蔵と一緒にすればイイのに・・・と思いました。

昔、ロックフェラー財団の方が高山へ見えたとき、「屋台よりも、この土蔵の方が凄い!」と言われたそうです。
確かに、これだけ大きな扉を持つ土蔵を作れる技術は他にないかもしれません。。。
何年か前に上一之町で火事があった際、隣接した三番叟(屋台)も蔵のおかげで無事でした。
この屋台蔵も世界に誇れるものだと思います。

高山の祭屋台は、国の重要有形民俗文化財に指定してもらってますが、これには私の祖父「利右衛門」が大きく関わっています。
屋台を修理したり維持していくにはお金が必要で、そのため文化財として指定してもらえるように何度も文部省に陳情に行き、その度に家財道具等が減っていったと父が言っていました。
陳情に行った際に、祖父が「動く陽明門」と言って説明しイメージさせたそうです。
この「動く陽明門」という言葉を「私が最初に言った」という方がみえますが、その方の名前を父から何度か聞いた事もあり祖父と仲が良かったんだと思いますが、父からは「利右衛門が陳情に行った時に、イメージしやすいように言ったのが最初・・・。」と聞いています。
我が家には、その方が書かれた本もあり父も読んでましたが、その中にも「私が言った」という記述がありました。
だから敢えて父は私に、祖父が陳情に行ったときに言った言葉と伝えたかったのかもしれません。
祖父は私が生まれる前に亡くなっていますし、父もすでに他界しているので確認はできませんが、父曰く「利右衛門は、ものすごいメモ魔だった」そうなので、どこかに資料が残っているかもしれません。。。

281203aki_yatai.jpg屋台といえば、秋祭りの八幡神社には「屋台会館」があります。
これも祖父・利右衛門のアイデアで、屋台を維持するにはお金が必要なので「屋台会館」を作って入場料を取り、それを修理費等に充てる事を考えたそうです。
これを自分の祭区域である日枝神社の方で発言したところ、「屋台は見世物じゃない」と却下されたそうです。
それを当時、八幡神社の境内でお店を出していた有巣さんが「そのアイデア、俺にくれ」と言って八幡では屋台会館が出来たそうです。
おかげで八幡の屋台組には、屋台会館からのお金が入ってきて組の費用として使えるそうです。

それにしても祖父・利右衛門は、何故こんなにも祭りや屋台の事に尽力したのか不思議に思ったことがありました。
我が家が所属している三安組は神輿組なので屋台が無いのに、身銭を削ってまで陳情に行ったり色々な雑用をしていたそうで、屋台組の人だったらやるかもしれないけど何故???と思いました。
しかし過去帳を見てたら、明治の頃は上三之町の西さかだ さんの隣くらいに居たそうで、そういえば父からもそういう話を聞いた事がありました。
そうなると 恵比須台組になるので、屋台への愛情があって当然かもしれません。
#恵比須台は、私の好きな屋台のひとつです!
#ちなみに、その前は上一之町に住んでたそうですが、火事に遭って引っ越したそうです。

そんな祖父・利右衛門が生きていれば、今回の世界遺産登録はもの凄く喜んだと思います。
父は生前、「親父(利右衛門)には、かなわない」と言った事があります。
確かに そういった活動もだけど、湯川秀樹博士が我が家に来たり、志賀直哉に頼まれて春慶塗の掘りごたつを作ったりしたそうです。
#利右衛門は春慶塗師で、お弟子さんも何人もいたようです。
あとは山岳川柳というのを主催して日本全国から投句があったり、手先が器用で棚などの木工製品は自分で作っていたそうです。
ただ躾け等には厳しくて、祖父から叱られたという近所のオジさんもいます。。。(^^ゞ

今回の登録ニュースは、そんな祖父に思いを巡らす良い機会となりました。
祭りについても、先人達が守ってきたものを後世に伝えなければならない思いが強くなりました。

来年は私の息子も大学を卒業して帰ってくる予定ですが、息子の高校時代の友人グループは「高山へ帰って地元のために尽くしたい」と考えている子が多いようで非常に頼もしく感じます。
これには高校時代に指導してくれた先生方の影響もあるんじゃないかと感じています。。。
(ありがとうございました。)
そんな息子達が高山の文化や習わし・伝統を受け継ぎながら 時代に合った変化に対応し、高山のために尽力してくれることを期待しています・・・。