飛騨高山 さんぽ道飛騨高山さんぽ道

飛騨高山の歴史

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 飛騨高山の歴史について簡単にご紹介します!

 

『高山』の名のはじまり

高山の名の始まりは、金森長近が豊臣秀吉(当時は羽柴)の命によって飛騨を鎮定し、領主となり、天正十八年(1590年)から慶長十年(1605年)にかけて築き上げた城を高山城と名付け、武士達の居住地域・町人達の居住地域を定めて城下町としたところにあります。この高山城の命名には諸説あるようですが、金森氏以前にこの地を支配した高山外記(げき)が、多賀山(現在の神明町三丁目の平一帯)の天神山城を居城としていました。『飛騨八所和歌』の裏書に「このくにの府多賀山といふ」との記述があり、『多賀山府』が飛騨地域に知られていたことと、高山氏は甲賀郡水口町の出自で、金森氏は近江国野洲郡金ケ森と伝えられていることから、位置的に近いので近江時代に何らかの関係があったとも考えられ、高山氏と多賀山府から『高山城』と名付けられたとの説があります。

 

『三町』のはじまり

三町とは、一之町・二之町・三之町を指します。高山における中心は歴史的に三町だと言えます。現在の高山盆地の市外地図から見れば、盆地の東側にある三~四筋の町筋に過ぎませんが、昭和九年に高山線が開通するまでは、整った町並みは三町しかありませんでした。この三町も高山城が金森長近によって築かれる前までは、殆どが川原でした。それが天正十四年(1586年)八月七日、金森長近が羽柴秀吉によって飛騨領有を認められて入国し、現在の城山に高山城を築くこ とによって、城下町としての三町が形成されました。三町の呼び名として上町(かみちょう)・下町(しもちょう)というのがあります。 これは、安川通りを境にして上一之町・上二之町・上三之町を上町、下一之町・下二之町・下三之町を下町と呼びます。 これがもとになって昭和十七の町名改正時に、三之町も上三之町・下三之町になりました。また、一之町・二之町・三之町を、それぞれ一番町(大町)・二番町・三番町という通称もあります。

 

平成の大合併

2005年2月1日、平成の大合併により高山市と国府町、久々野町、丹生川村、宮村、朝日村、清見村、上宝村、高根村、荘川村が合併しました。
前年には古川町、神岡町、河合村、宮川村が合併して「飛騨市」になり、下呂町、小坂町、萩原町、金山町、馬瀬村が合併して「下呂町」になりました。
これにより飛騨地域は、高山市、飛騨市、下呂市、白川村の4つになりました。

 

余話:飛騨市の市名について

(平成20年7月26日 記)

 飛騨市の市名命名の際、大きな騒動がありました。 Wikipediaには「旧飛騨国の中心部を占める高山市との激しい対立があった。 」とありますが、声を大きくして反対したのは高山市ですが実際は高山以外の飛騨地域からも多くの反対の声があがっていました。(ただ、最初に高山が声をあげたので、新たに声をあげなかったようです。)

 当時、ボクの父は「飛騨歴史民俗学会」の会長をしており、学会で「飛騨」を名乗る根拠を説明して欲しいと古川町、神岡町、河合村、宮川村の首長へ質問しましたが、「住民の熱い思い」という返答しかいただけませんでした。
 この市名は住民からの募集で決めましたが、応募には住民であること以外何も制限がなく、一人で何回も同じ名前を書くことができました。
という事は、「飛騨市」という名前にしたい人が何枚も応募して良かったのです。
 市名が決まってNHKが取材してニュースで流れた際、この応募用紙も映っていましたが、あきらかに同じ筆跡で書かれた「飛騨市」という市名がいくつもありました。(このニュースは録画してあるのでその映像(写真)をアップしようと思いましたが、NHKに問い合わせたところ著作権等いろいろ問題があるとの事で載せることができませんでした。)

 父が会長を務めていたこともあって、連日我が家には飛騨各地から「絶対に飛騨市という市名は中止させてくれ」と言ってくる人が詰めかけました。(同じ頃、現・下呂市の市名を決める投票がありましたが、その中に飛騨市と書いて投票した人もいました。)
 飛騨市の人は、高山だけが反対したような言い方をしていますが、実際は高山以外の飛騨地区のかたも大勢反対しており、ボク自身当時の大野郡・益田郡に住んでいた知り合い・友人たちからもかなり強い反対意見を聞きました。

 では、何故こんなに反対されても「飛騨市」という名前をつけたのか・・・。
それは、この市名が当時の岐阜県知事だった梶原拓が言い出した名前だからです。
これは梶原知事が視察に訪れた際、古川町、神岡町、河合村、宮川村の首長が接待した席で「どんな市名が良いでしょう?」という問いに、梶原知事が「飛騨市というのはどうだ!」と答えたそうです。
 もちろん知事が言った市名ですから(知事の権力は絶大!)各首長とも「それはいい!」と言って賛同し、この時点で飛騨市という市名に向かってスタートしました。このことは接待の席に同席した某新聞社の女性記者から飛騨歴史民俗学会へ伝えられましたが、これを公にしようとすると圧力がかかり、女性記者とその上司が我が家に来て「守秘義務があるから言ってもらっては困る」とボクの父親のところにお願いにきました。それで学会としては梶原知事にこういった事実があったのか直接質問状をだしたところ、県の飛騨地域振興局が質問内容を確認に来ただけで返事はもらえませんでした。
 ですので、知事の言葉を伝えられた人が応募用紙にせっせと「飛騨市」と書いたので同じ筆跡ばかりになり、四首長からは「住民の熱い思い」という答えしか返ってこなかったのでしょう。。。

 結局、市名は変わらず「飛騨市」となりましたが、合併当初から人口は3万人を割るスタートに・・・。
そんなある日、中日新聞を見ていたらあるイベントでの梶原知事のコメントが載っていましたが、その中に「今からでも飛騨市という市名を取りやめて、新しい名前に変えられないか」という一文がありました。ボクはこれを見て強い憤りを感じました。自分が言った一言で騒動を引き起こしておいて、今更「変えたら」なんて・・・。
市名が変わると言うことは住所が変わると言うことで、住所が記載してある印刷物その他全て修正・作り直しをしなければなりません。そのためにかかる費用はどの位になるか、梶原知事はわかってるんでしょうか?

 この「飛騨市」市名騒動は、当時の岐阜県知事だった梶原知事の責任だと思っています。
岐阜県にはもうひとつ「美濃市」という地方名を冠する名前を付けた市がありますが、周りの市町村には良い市名だと思ってない人が結構います。(ほかに近くでは石川県の加賀市も、加賀地方の人からボロクソに言われているのを聞いたことがあります。)
地方全体の名前なのにその中の一部の地域だけにそのまま使われたら、他の地域の住民が良く思わないのは当然だと思います。
既に美濃市という前例があるのに、住民感情に気付かず(知らず)不用意な一言を発した知事が一番悪いと思います。
(反発が起こることを予想できたのに、それを推し進めた四首長たちも悪いけど・・・。)
梶原さんは知事の資格なんて無いですね。。。
現在は退任していますが、箱物行政で県政を悪化させるなど本当に負の遺産をたくさん残してくれました。

 今回、なぜ今更この話題に触れたかというと、未だに飛騨地区には「飛騨市」という名前に嫌悪感を持っている人が多く、そこに住んでいる飛騨市の住民にも嫌悪感を持っている人も多いため、本当に悪いのは誰かを知ってもらおうと思ったからです。
ボク自身、今でも飛騨市という市名は反対ですが、古川の高校に通っていたことや飛騨市のホームページ作成に携わったりして飛騨市内には多くの友人・知人がいます。彼らがみんな飛騨市という市名にしたかったのかというと、そうではありません。市名は二の次で、今まで住所を書く際に吉城郡○○町・○○村と書いていたのが、合併によって「市」と書けるのが嬉しいと感じている程度なのです。
ですが、ボクが飛騨市のホームページを作成したことで、知人のなかには「飛騨市側に裏切った」と思っている人もいます。(それくらい根深い問題なのです。)
あと、飛騨市長が替わったこと(前市長は神岡町長)も今回触れた理由の一つです。。。
それにボクに時間ができたこと・・・。(これが一番大きいかも)

 余談ですが、合併は最初高山市・大野郡・吉城郡の1市14町村で計画されました。しかし高山市が編入合併を表明したことにより、吉城4町村が離脱したように言われています。
でも合併直前に行われた古川町長選では、当選した菅沼町長は「高山市とは合併しない」事を後援者に約束して当選しました。ですので1市14町村の合併と聞いた古川町民の中には、「約束はどうなった」と不満をもらす人もいました。結局、高山市とは合併しなかったので約束は守られたんでしょうけど・・・。

 長くなりましたが、騒動の経緯を説明しました。
女性記者の守秘義務についてですが、梶原知事も退任し飛騨市長も替わり、もはや市名を変更することもできなくなっているので真実を明らかにしても影響はないと判断しました。
むしろ公表した方が、飛騨市住民への嫌悪感が薄れるんじゃないかと思っています。