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祝! 山・鉾・屋台行事・ユネスコ無形文化遺産登録

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281203haru_yatai.jpg平成28年12月1日の深夜2時頃、高山祭屋台がユネスコの無形文化遺産に登録されたと市へ連絡があったそうです。
ようやく念願の世界遺産登録が叶ったんですが、33行事一括での登録なので嬉しいけどチョット複雑な気分です。

以前からユネスコへ登録申請をしていましたが、「高山祭屋台と祭礼の場」(だったと思う)という感じで祭区域も一緒に申請してたので、下三之町などを歩いても分かるように「普通の町並みで空き家を潰して駐車場になり、歯抜けになったようなところも世界遺産になるの?」と、そういう申請方法では無理じゃないかと感じていました。

もちろん、祭屋台は世界遺産に登録するだけの価値があると思っていましたが、当時聞いた説明では「屋台は車が付いていて動くので、何か動かないものと一緒に申請しなければならない」みたいな事を聞いた覚えがあります。
それだったら土蔵でできた屋台蔵と一緒にすればイイのに・・・と思いました。

昔、ロックフェラー財団の方が高山へ見えたとき、「屋台よりも、この土蔵の方が凄い!」と言われたそうです。
確かに、これだけ大きな扉を持つ土蔵を作れる技術は他にないかもしれません。。。
何年か前に上一之町で火事があった際、隣接した三番叟(屋台)も蔵のおかげで無事でした。
この屋台蔵も世界に誇れるものだと思います。

高山の祭屋台は、国の重要有形民俗文化財に指定してもらってますが、これには私の祖父「利右衛門」が大きく関わっています。
屋台を修理したり維持していくにはお金が必要で、そのため文化財として指定してもらえるように何度も文部省に陳情に行き、その度に家財道具等が減っていったと父が言っていました。
陳情に行った際に、祖父が「動く陽明門」と言って説明しイメージさせたそうです。
この「動く陽明門」という言葉を「私が最初に言った」という方がみえますが、その方の名前を父から何度か聞いた事もあり祖父と仲が良かったんだと思いますが、父からは「利右衛門が陳情に行った時に、イメージしやすいように言ったのが最初・・・。」と聞いています。
我が家には、その方が書かれた本もあり父も読んでましたが、その中にも「私が言った」という記述がありました。
だから敢えて父は私に、祖父が陳情に行ったときに言った言葉と伝えたかったのかもしれません。
祖父は私が生まれる前に亡くなっていますし、父もすでに他界しているので確認はできませんが、父曰く「利右衛門は、ものすごいメモ魔だった」そうなので、どこかに資料が残っているかもしれません。。。

281203aki_yatai.jpg屋台といえば、秋祭りの八幡神社には「屋台会館」があります。
これも祖父・利右衛門のアイデアで、屋台を維持するにはお金が必要なので「屋台会館」を作って入場料を取り、それを修理費等に充てる事を考えたそうです。
これを自分の祭区域である日枝神社の方で発言したところ、「屋台は見世物じゃない」と却下されたそうです。
それを当時、八幡神社の境内でお店を出していた有巣さんが「そのアイデア、俺にくれ」と言って八幡では屋台会館が出来たそうです。
おかげで八幡の屋台組には、屋台会館からのお金が入ってきて組の費用として使えるそうです。

それにしても祖父・利右衛門は、何故こんなにも祭りや屋台の事に尽力したのか不思議に思ったことがありました。
我が家が所属している三安組は神輿組なので屋台が無いのに、身銭を削ってまで陳情に行ったり色々な雑用をしていたそうで、屋台組の人だったらやるかもしれないけど何故???と思いました。
しかし過去帳を見てたら、明治の頃は上三之町の西さかだ さんの隣くらいに居たそうで、そういえば父からもそういう話を聞いた事がありました。
そうなると 恵比須台組になるので、屋台への愛情があって当然かもしれません。
#恵比須台は、私の好きな屋台のひとつです!
#ちなみに、その前は上二之町に住んでたそうですが、火事に遭って引っ越したそうです。
(追記)上三之町の西さかだ さんの近所に居たのは10年ほどだったそうです。上二之町の五台山の隣りに我が家の本家が長く住んでいて、同じ上二之町の上手に分家(我が家の先祖)が住んでいたそうです。なので、祖父が屋台に愛着があったのは五台山からだと思います。

そんな祖父・利右衛門が生きていれば、今回の世界遺産登録はもの凄く喜んだと思います。
父は生前、「親父(利右衛門)には、かなわない」と言った事があります。
確かに そういった活動もだけど、湯川秀樹博士が我が家に来たり、志賀直哉に頼まれて春慶塗の掘りごたつを作ったりしたそうです。
#利右衛門は春慶塗師で、お弟子さんも何人もいたようです。
あとは山岳川柳というのを主催して日本全国から投句があったり、手先が器用で棚などの木工製品は自分で作っていたそうです。
ただ躾け等には厳しくて、祖父から叱られたという近所のオジさんもいます。。。(^^ゞ

今回の登録ニュースは、そんな祖父に思いを巡らす良い機会となりました。
祭りについても、先人達が守ってきたものを後世に伝えなければならない思いが強くなりました。

来年は私の息子も大学を卒業して帰ってくる予定ですが、息子の高校時代の友人グループは「高山へ帰って地元のために尽くしたい」と考えている子が多いようで非常に頼もしく感じます。
これには高校時代に指導してくれた先生方の影響もあるんじゃないかと感じています。。。
(ありがとうございました。)
そんな息子達が高山の文化や習わし・伝統を受け継ぎながら 時代に合った変化に対応し、高山のために尽力してくれることを期待しています・・・。