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制帽

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1月30日付けの「高山市民時報」に、”-懐かしい学生帽姿の高校生が増加中- 斐太高生が「母校の歴史に関心」”という題で記事になっていましたが、これにうちの息子が載ってます。。。(^^ゞ

私が高校生の頃は制帽をかぶるのはどこの高校も校則で決まっていたけど、いつからかかぶらなくても良くなっていました。
息子も1・2年生の時はかぶらないで登校してましたが、3年生になってゴールデンウィークの頃に「友達と帽子をかぶって行く」と言い出しました。

なぜ突然そんな事を言い出したのかわかりませんが、数人の仲間から部活の友人達にも広まり、今では下級生も含めて数十人が制帽をかぶって登下校しているようです。

斐太高校では卒業式の際、制帽の白線とセーラー服のネクタイを1本に結んで学校前に流れる大八賀川へ永遠の友情と高校三年間の思いを込めて流す「白線流し」という伝統行事があります。
現在は男子の白線は入学時に生徒会からプレゼントされたものを使っていますが、息子達は昔通り制帽の白線を使うようです。

息子は記事を見た斐高卒業生の方から声を掛けられたそうで、私も知り合いの斐高OG・OBの人たちから「イイ事やなぁ」と言われ好評のようです。

昨年11月に育友会役員と学校職員で行った県外学校訪問の後、今回の制帽が話題になり育友会役員の中からは「制帽着用を復活させたい」という意見もありましたが、校長先生曰く「強制するのは難しい」との事でした。
確かに、いきなり「男子全員制帽着用!」と言ったって無理だと思いますが、贈呈された白線というのも違和感があります。

今回、制帽をかぶり始めた最初の頃は、勉強や部活を頑張っていて斐高生として誇りを持っている子供達が多かったと聞いてます。
アニメにもなった「氷菓」の文集じゃないけど、部で先輩から後輩へ引き継いでいくように学校側からの強制ではなく自分たちで継承していってくれたらイイナと思います。。。

 

・・・ところで、
三年生の息子は先日、センター試験を受けましたがチョット失敗してしまいました。
第一希望はあきらめ、中期・後期に受ける予定だった大学も変更しました。
私立もチャンと考えていなかったけど、万一を考慮して河合塾のバンザイシステムでA評価だった大学を急遽受ける事にしました。
が、ネットで調べたら願書締切が翌日(消印有効)!
嫁さんの友達に電話したら、その大学の願書を持ってるとの事で急いで譲ってもらい、息子は先生に電話して調査書をお願いしました。
友達のお子さんはとっても優秀なんだけど、お母さんが「もしももしも万が一・・・」を考えて念のため願書を取り寄せていたそうで助かりました。。。(^^ゞ
#う~ん、シッカリしなければ・・・。最悪の場合を考えておかないとダメですね。

息子には
1.浪人はできない。
2.国公立大学しか行かせない。
と言ってましたが、最悪の場合は私立へ行くか自宅浪人でも仕方ないかなと考えています。
#もし私立へ行ったらバイトしてね。。。

これから受験本番!
良い知らせが届きますように♪

 

--追記(2022.06.26)--

毎年、春~夏休み前頃になると このページのアクセス数が増えるので、参考のため入試以降の息子の略歴も紹介しておきます。

息子は一応、現役で国立大学に入学しました。
卒業後は高山へ戻ってきて公務員をしています。ただ、卒業時は就職先としては本意では無かったので、「大学院へ進学したい」と言ってきました。
しかし理由が就職先の事だったので、「そういう理由では大学院へのお金は出せない」と伝えました。
現在、就職先としてはあまり評判が良くないとは言え、高山では一応トップクラスで就職希望が集まるところなので、「就職できることが それなりのステータスになる」と説得して勤めて貰いました。
最初の1年は「辞めたい」と言う事もありましたが、取りあえず3年間は頑張ってみろと伝えました。
3年目に「自分で貯めたお金で大学院へ行きたい」と言ってきたので、母親は渋りましたが私は反対する理由も無かったので、今度は母親を説得して大学院受験を許可しました。
社会人枠で受験し、出身大学の大学院へ入学が決まりました。

 

当初、本人は仕事は辞めて大学院へ通うつもりだったのですが、新型コロナの影響で授業はオンラインになる事や仕事も慣れてきて後輩もできた事、また当時の息子の上司の方が親身になって相談に乗って頂いたおかげで、仕事をしながら大学院を受講することになりました。(大学院の教授の計らいもあったようです。)
息子は働きながら勉強するので、最初から3年掛けて卒業する計画を立てました。
月1~2回は実際に学校での授業がありますが、あとはオンライン授業で頑張っています。
今年度が3年目で順調にいけば卒業です。

 

今考えても、息子の高校生活は非常に有意義なものだったと思います。
友人・先生達にも恵まれ、部活の友人達とは今でも連絡を取って集まったりしているみたいです。
1・3年の時の担任の先生からは、弁当箱は自分で洗うよう教えられたりして勉強以外の部分でも成長させて貰いました。

上で『制帽をかぶり始めた最初の頃は、勉強や部活を頑張っていて斐高生として誇りを持っている子供達が多かったと聞いてます。』と書いたけど、現役高校生のみんなには志を高く持って頑張って欲しいですね。。。