飛騨高山 さんぽ道飛騨高山さんぽ道

さよなら平成

(投稿日:

いよいよ本日(4/30)、天皇陛下が退位され元号も平成から令和に代わります。

私が中学二年の時、陛下がまだ皇太子の時に美智子様と共に高山へお越しになりました。
その時、地元の中学生が十数人選ばれて、グリーンホテルで獅子舞とその版画を作っている様子をご覧頂き、お話しすることもできました。
私は幼なじみのN君と一緒に版画を刷りましたが、版画自体はN君が作ったものでした。
N君は絵が非常に上手く(それが彼の家業の仕事にも繋がっていますが)、お陰で皇太子様と美智子様の目にとまり 長くお話しできた事を覚えています。
当時の私は、皇室が何であるかとか何も分かってませんでしたが、この前年に亡くなった母方の祖父が明治天皇(だったと思う)の写真を飾って手を合わせていたのを見てたので、「とっても偉い人」という認識だけはありました。
またその時の、周りの大人達の動きや対応を見ていても「特別な方」というのは十分伝わってきました。。。

長く話した事もあって、その後で新聞社の方達が来て「何を喋ったの?」とか訊かれ、N君の刷り上がった版画も欲しいと言われて持って行かれました。
#でも、その版画は使われませんでしたね。。。(^^ゞ

 

実は当時、私は十数人の一人に選ばれたことは嬉しくありませんでした。
クラスの中には「なんでアイツが選ばれるの?」と言う人もいましたし、同じクラスでもう一人選ばれたK君が「辞退したい」と言った時も
「お前も辞めろ」と言う人もいました。
本当は辞退したいけど、それを言うと家でまた父に殴られるので言えませんでした。
K君は同じ部活だったんだけど、二人の時に「俺はどうしたらいいんやろ?」と言ったら「辞退したい」と言わないでくれました。

私の父は中学の教員で、当時は同じ学校にいました。
父は瞬間湯沸かし器と言われ、すぐカッとなって手を出すことで有名でした。
もちろん私も家で何度も殴られました。
殴られるような悪いことをしたかと言えばそうではなく、本人の機嫌が悪いときに何かしらの理由をつけられて殴られました。
少し前に話題になった小学4年の栗原心愛さんが虐待を受けた後に死亡した事件の時に、「夜中に起こされて暴行を受けた」事も明らかになりましたが、私も同じように夜中に叩き起こされて殴られたことが何度もありました。

こんな父なので恨みを持ってる人も多く、「親が憎けりゃ子も憎い」で 私も嫌がらせを受けることが度々ありました。
ただ、本当に悪くて他の先生たちからは相手にされないような人にも父は同じように怒ってたので、そういう人からは差別をしないという点で良く思われていたみたいです。

 

また、私が小学校5・6年生の時の担任のH先生もすぐに手が出る先生で問題になりました。
子どもの頃、こんなに殴られたのでもちろん暴力は反対なのですが、躾けに際しては多少は必要だと考えます。
それはクチで言っても分からない、大人や世の中を舐めた子どももいるからです。
日常的に手を出すのは問題外ですが、他人に多大な迷惑を掛けたりする行動をしても反省すること無く、むしろ自慢気に話す人もいます。
叱っても反省せず、何回も同じ過ちを繰り返してヘラヘラしてるような人は、体罰で痛い目に遭わないとわからないかもしれません。
反省しない人もいるかもしれないけど、次やったらまた痛い目に遭うのでやらなかったという人も知っています。

すぐにカッとなる私の父でしたが、孫(私の子ども)ができてから大きく変わりました。
ある日父が、「そんなに俺の事が憎かったら、金属バットで殴り殺せばよかったろ」と言いました。
私は「そんな事をしたら俺が犯罪者になる」と答えると、父は何も言わずに部屋を出て行きました。
私の答えに父がどう感じたかは解りませんが、子ども達には非常に優しく接してくれました。

 

その子ども達も、この春に娘も就職して ようやく肩の荷が降りたところです。。。
今後は、どうやって子ども達にバトンを引き継いでもらうかですが、私の親のように無理強いはしたくありません。
幸いな事に、今のところ息子は「いつかは高山へ帰ってきたい」と考えてくれてます。
#現在、高山で就職していますが、来年はヨソへ行く予定・・・。

既製品を売っているお店はどこも同じですが、ネット販売が当たり前になった現在、私の店も商売が難しくなってきました。
ただ、私が行っているWEB製作の方は需要があり、息子もそちらには興味があるようです。
そうなると今のお店の場所では駐車場もないし、郊外でやった方が良いです。。。
私の親は、商売替えする事も他人に店を貸す事も反対で、結局、説得できなかったので店をやりながらWEB製作を行う方法を取りました。
まだ数年は この形態のままだと思いますが、何年か先には変わっているかもしれません。
でも息子は、この家(場所)が好きなようなので手放す事はないと思います。。。

「令和」が何年続くか分かりませんが、我が家にとっては色々変化がある年号になりそうです。