飛騨高山 さんぽ道飛騨高山さんぽ道

高山祭の見所

 

高山祭といえばもちろん屋台が見どころなんですが、屋台蔵の前や屋台を曳きだした前に木の立て札が出ています。そこには制作年月・工匠・彫刻・塗師等が書かれてますので、工匠・彫刻で「谷口与鹿」という名前が出ていたら注目してください。

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谷口与鹿は一刀彫りの名人で、麒麟台の「唐子群遊籠伏せの鶏」は一刀で彫りながら、籠の中に鶏が彫り残してあるという逸作です。また、恵比須台の「手長・足長像」や「子連れの竜」、神楽台(春)の「巻龍」など、どれも名品です。与鹿は文政5年(1822年)の生まれで、唐子群遊はなんと二十四歳の作です。四十三歳の若さで仲間の嫉妬のために刺されて悲劇的な最後を遂げたといわれてますが、酒樽に飛び込んで自殺した…という説もあり、どちらにしても若くして亡くなった天才のために自然に生じた伝説かもしれません…。

また、屋台といえば「からくり」が挙げられます。
春の高山祭でからくりを奉納するのは、「龍神台」・「三番叟」・「石橋台」の三台です。
龍神台」(りゅうじんたい)は、あどけない童子が置いていった壺の中から、酔っぱらった龍神が出現するというもので、「三番叟」(さんばそう)は金色の扇子と鈴を持った童子がにこやかに前へ進み先端の面ばこに顔を伏せ、再び顔を上げると漆黒の翁の面を被っているというからくりです。「石橋台」(しゃっきょうたい)は、花笠を被り両手に牡丹の花を持った娘が、一瞬で衣服がはね返り人形の尻の方に獅子頭がついていて枕獅子を舞うという妙技です。これが風紀上良くないと言って警察より明治二十五年に禁止されました。しかし昭和五十九年に組の人たちの大変な努力で、この人形が復元されました。
秋の高山祭では、「布袋台」の一台です。
「布袋台」(ほていたい)は、男女二人の唐子が綾(ブランコ)に飛びつき、三つの綾と二つの巻を交互に回転しながら飛んで行き、機関樋の先にいる布袋和尚の背と右手に乗り、左手の軍配が「和光同塵」の旗に替わるもので、俗に綾渡りという離れカラクリです。

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