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安川通り 軍用説

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本日(5/30)の中日新聞 岐阜県版に、私の住んでいる安川通りが載っていました。
記事には
『高山の古い町並み「安川通り」だけなぜ幅広!?』
『駅と乗鞍つなぐ軍用説』
という見出しがありました。

記事の中には私の父が書いた『安川物語』の事も少し書いてあったけど、以前、私が父や安川及び近所の古老たちから聞いた話も軍からの命令による道路の拡張でした。
その中には、この辺りの大地主で元高山市長の土川氏からの話もありました。

終戦直前に、軍から今で言う『セットバック』を自費で行うよう命令されたそうです。
下の地図は安川通りの南側の一部(上二之町~上三之町)だけど、ピンクで薄く色付けしてある箇所が道路として南側へ広げられました。
※地図の数字は番地です。
大体、それまでの道路から5~6mセットバックさせられました。
向かいの北側は、およそ7mくらい下げたみたいです。
それによって現在のような幅員約18m(歩道含む)の道路になりました。

 

では何故、軍が道路を拡張させたかと言うと、私が聞いた話では安川通りで飛行機を発着させる構想があったそうです。
また高山別院を軍の拠点にする計画だったとも聞きました。
※飛行場にする訳では無く、臨時で発着できるように・・・。
新聞に書いてあったように高山駅~乗鞍へ軍の物資を運搬しやすくするためという話も聞きましたが、それだと安川通りだけ広げてもあまり意味が無いように思います。。。
せめて、国分寺通りも同時に拡張しないと物資の運搬は難しいと感じます。
飛行機の離着陸に どれくらいの距離が必要か分からないけど、仮に『ぶんねもん坂』の下りを利用して加速して離陸し、着陸は坂の上りを利用して飛行機を減速させる方法も考えたかもしれません。。。
#実際に世界には、そのように坂を利用した飛行場もあるし・・・。
仮に飛行機の発着に利用する場合、安川通り(鍛冶橋~高山別院前)より東側(大雄寺下辺り)も含めれば500m弱の距離が確保できます。
※大雄寺下までは、安川通りとほぼ同じ道幅になっています。
日本で一番短い滑走路は北海道の弟子屈飛行場(550m、2009年廃止)だったそうなので、坂も利用すれば不可能な話ではないと思います。

 

また先程、『セットバック』を自費で行うよう命令されたと書きましたが、これは家の工事だけでなく土地も国に取られてしまった事も意味します。
現在は国道になっていますが、国からは何の補償も無かったそうです。

 

余談ですが、このセットバックで我が家では風呂が無くなりました。(風呂を無くして店舗部分を確保した。)
私が子供の頃は、近所(下三之町)に鍛冶橋湯と言う銭湯があり、そこへ通っていました。
#鍛冶橋湯さんは、現在の匠館さんの駐車場あたりにありました。

ついでに『安川物語』についてですが、当初は安川商店街の理事長だった方の発案で商店街として発行する予定でしたが、色々あって商店街では出せない事となり、既に原稿もかなり出来ていたため父が自費で出版しました。

もうひとつ、地図の番地ですが道路拡張前から住んでいる家は、そのまま拡張前の安川通りに面した番地を使っているところが多いですが、近年新しく出店されたところは拡張後の安川通りに面した番地を使ってたりするので紛らわしいです。
(番地で『○○-△』の場合、『-△』は省いて『○○番地』と昔から言っています。)
実は近所のラーメン屋さん(大家さん宅含む)は、出店の際に私の番地と一緒になってしまいました。
郵便配達の方が ラーメン屋さんは店名で判断できるけど、大家さん宅は分からず数人の配達員の方から「この住所のお宅はどこですか?」と訊かれました。

 

確実に分かっているのは安川通りの拡張は軍の命令であり、それに伴う補償は何も無かったという事です。。。